第3話で「盾」を手に取った俺を待っていたのは、戦術以前の絶望――50代という肉体が抗えない「忘却」という名の底なし沼だった。
教科書という名の「盾」を手に入れたなら、あとは受験ロードという名の荒野を爆進するだけだ。
どこから読み始めてもいい。民法、宅建業法、法令上の制限。全体を流すか、精読するか。マーカーを引くか、否か。そんな枝葉末節はどうでもいい。大切なのは、あなたがその場所で「Comfortable(快適)」でいられるか、それだけだ。
ちなみに俺は、アンダーラインもマーカーもしない。ただ、ひたすらに「読む」。その無機質な反復だけを繰り返した。
1. 「ドンケツシンボリー」の呪い
さて、50代の同志たちよ。認めよう。俺たちの記憶力は、自分たちが思っている以上に、無残なほどに枯れ果てている。
教科書を2回目に開いたとき、俺は愕然とした。「……ここ、本当に読んだのか?」 3回目でも同じだ。昨日読んだはずのページが、まるで初対面のような顔をして俺を嘲笑う。
「やっぱもうダメなんだ……。俺はいつだって、ドンケツシンボリー(どん尻の負け馬)だったじゃないか」
そんな自虐の念が、脳裏をどす黒く染め上げる。だが、そこが「結界」の境目だ。自分が負け馬であることを認め、そこからどう走るか。それが問われている。
2. 「慣れ」という名の極意
4回、5回、そして6回。忘却のスピードを、読み返す速度が上回る瞬間が必ず来る。
「読書百遍、意自ずから通ず」などという高尚な話じゃない。ただ単に、脳がその不快な環境に「get used to(慣れてしまう)」だけだ。
7回も読み返せば、かつての絶望は過去の遺物と化す。手垢にまみれた教科書の無惨な姿は、そのまま、あなたが戦い抜いた証――独学受験生の胸を飾る、誇り高き「勲章」へと変貌するのだ。
脳みそに知識を叩き込むんじゃない。回数を重ねることで、自分自身の細胞に法律の理屈を馴染ませていく。その静かな高揚感を知ったとき、あなたはもう、次のステージに立っているはずだ。
※ ドンケツシンボリー:『こちら葛飾区亀有公園前派出所』に登場する競走馬。どん尻、ビリを走り続けるその姿は、逆説的に不屈の象徴でもある。

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