第1話で「防弾チョッキ」の代金を支払う決意をした俺が、次に直面したのは、50代という肉体の衰えと、独学者が必ず陥る「教科書選び」という名の疑心暗鬼、そして逃げ場のない孤独だった。
2020年12月27日。日曜日。街は、クリスマスの残骸を片付ける間もなく、有馬記念という名の集団狂気に沸いていた。夢、逆転、的中。競馬場の外へ吐き出し、撒き散らされた人々の喧騒と、仕事納め直前の投げやりな祝祭感が、冷え切った12月の空気をさらに歪ませる。
その喧騒の断崖で、俺は独り、絶望の淵を覗き込んでいた。
あの日、試験会場を埋め尽くしていた連中が、キャリアアップや年収増という「未来」を見ていたとしたら、俺だけは違った。俺が這いつくばってでも掴み取ろうとしていたのは、そんな高尚な夢じゃない。合格後に郵送されてくる、たった一枚のA4の「合格証書」だ。
50代、何者でもない俺にとって、その紙切れは「資格」ですらなかった。それは、日々ボロボロと剥がれ落ちていく俺の輪郭を、かろうじてこの世界に繋ぎ止めるための「生存証明書」であり、社会へ叩きつけるための唯一の「回答」だった。
1. 50代、押し寄せる「業(ごう)」のリスト
50代。この年代で資格を志すとき、脳裏をよぎるのは崇高な志などではない。もっと泥臭い、現実的な「業(ごう)」の数々だ。
• 砂上の記憶: 昨日、必死の思いで心に刻んだはずの一行が、翌朝には跡形もなく消え去っている。脳が新しい知識を異物として拒絶しているかのような、あの薄ら寒い恐怖。開くたびに初対面の顔をしてこちらを嘲笑うページを前に、俺は自分の脳が衰えていく音を聞いていた。
• 「行政書士」という名の重石(おもし): 20代の俺が掴み取った「行政書士」の資格。かつての戦果は、今の俺を救うどころか、腐りかけたプライドとして俺の首を絞める。「あの頃の俺は、もっと明晰だったはずだ」という過去の幻影が、今の俺の足を泥沼へと引きずり込む。
• 裏切りの常習犯: 「あと10分」「タバコ1本吸ったら」……自分と交わした約束を、俺はこれまで何度ドブに捨ててきただろうか。守られるはずのない誓いを更新し続けるたび、俺という人間の価値は、道端の石ころ以下にまで削り取られた。
• 卑小な敵の包囲網: スマホの青白い光、安菓子の人工的な甘味、溜まりゆく洗濯物。勉強を阻むのは高尚な障害ではない。自分をどこまでも卑小にする、ゴミのような日常の堆積だ。
喉元に突き刺さるのは「予備校に払う金すら惜しむ」という惨めな本音だ。仕事の依頼が途絶え、貯金残高が削られていく静かな音が、冬の凍てつく夜の向こう側から聞こえてくる。この資格が「保険」になるのか? それとも単に、自分はまだ死んでいないと嘯(うそぶ)きたいだけなのか。
不動産屋になるわけじゃない。転職する当てもない。だが、俺は渇望していた。自分というボロ雑巾の輪郭を補強するための、最後の「称号」。それがなければ、俺という存在は、このまま誰にも気づかれず、冬の闇に溶けて消えてしまいそうだった。
2. 教科書選びという名の「聖戦」
独学の第一歩。それは「教科書選び」という名の、孤独な自問自答から始まる。俺の脳内では、二つの「声」が火花を散らしていた。
【合理主義者の囁き】 「大手予備校が出しているものなら、どれも大差ない。教科書はさらりと終わらせ、本番(過去問)へ急げ。余命の短いお前に、迷っている時間など一秒たりともないはずだ」
【懐疑主義者の毒づき】 「市販の3,000円程度の教科書は予備校が仕組んだ『撒き餌』だ。本当の合格のキモは、数十万の月謝を払う受講生にしか教えやしない。パンフレットに金を払わされているだけだと思わないか?」
この二つの極論の間で揺れ動くのが、独学者のリアルだ。どちらを信じても、俺の無能が再確認されるだけのような気がしてならなかった。
俺が手にしたのは、ヤフオクで拾い集めた「敗者たちの残骸」の中に、たった一冊だけ混ぜ込んだ、あの一冊の「新品の教科書」だ。3,300円という免罪符。それが、俺という老兵が、荒れ果てた戦場へ持ち込む唯一の「希望という名の凶器」だった。

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