「あのタコの踊り食い、食ってみてーな」
独りごちた言葉は、澱んだ部屋の空気に溶けて消えた。釜山。韓国の大阪。食い倒れの街。人びとはそう呼ぶが、俺にとっては、この閉塞した日常の壁に穿たれた唯一の風穴に過ぎなかった。
「清河への道」という旋律が脳裏をかすめる。かつて新井英一という男が血を吐くように歌ったあの道は、今の俺の足元には繋がっていない。だが、夢だけは、腐りかけた果実のように、しぶとくそこにぶら下がっている。
そうだ、旅に出よう。釜山だ。釜山へ行こう。
現地の珍味に食らいつく。エイの珍味「ホンオフェ」。アンモニア臭が鼻を突くというその劇物を、俺はこの舌で受け止めたい。拒絶反応すらも、生きている証だ。
彼の国も外国人移民が急増していると聞く。異国の労働者が集う、油の匂いの染み付いた食堂。そこで、俺と同じように「ここではないどこか」を求めて彷徨う影にも混じりたい。
「旅」という名の、残された賞味期限
だが、あと何年この体が動く? パンデミックという名の死神は、俺の体に消えない爪痕を残していった。半年間続いた後遺症。あの時、いつも鼻がつまったような感じ–軽い運動でも息が続かなかった。息をするたびに喉元を塞がれるような、逃げ場のない息苦しさを経験した。あの、肺の奥底に澱んでいた救いようのない絶望感。あの泥沼の中にいた時は、ポイントの残高なんて、ドブに落ちた1円玉よりも価値がなかった。
が、今は違う。 老いと病に食い潰される前に、この肉体を釜山の土に立たせなければならない。感動して帰ってくる? 綺麗事だ。俺が行きたいのは、自分がまだ「移動できる動物」であることを証明するための聖地巡礼だ。
泥臭い「空への戦略」
財布の隅で、埃を被っていた「ソラチカカード」を引っ張り出す。JCBのロゴが、かつての怠慢を嘲笑っているようだ。ポイントは、ほったらかしのままで死んでいた。
戦略を立て直す。これはもはや「ポイント集め」などという生ぬるい遊びではない。釜山へ辿り着くための、緻密な兵站(병참:Byung-cham)だ。
• 地下鉄の行軍: 日々の移動、東京メトロの改札を抜けるたびに、俺は釜山へ数センチずつ近づく。ソラチカ装填の「To Me Card」は、俺の歩みをマイルへと変える錬金術の触媒だ。
• 給料の換装: 警備の仕事で削り取った命の代償、その振込口座を「Olive」へ。毎月200Vポイント。それは、労働という対価の端々に宿る、俺の存在を肯定するための「報奨」だ。
• 生活の武装: 業務スーパーの決済、固定費、あらゆる支払いをオリーブカードという盾に集約する。登録には「モッピー」という名の電子の闇市を経由し、一滴のポイントも漏らさない。ANAマイルという名の高純度燃料へと精製するのだ。
ネガティブという名の悪霊を振り払え
歩く時間は、もはや思考のための時間ではない。韓国語の音を耳に叩き込む、反復横跳びの訓練場だ。
旅を企てる。マイルを削り出す。異国の言葉を喉に馴染ませる。 その作業に没頭している間だけは、俺の脳内に巣食う「ネガティブな自動思考」という名の悪霊を、黙らせることができる。
「……糞どぉもんが。待ってろよ、釜山」
【兵站基地への案内】
俺は、この泥沼から這い上がるための装備を整えた。 もし、あなたの中にもまだ消えない火種があるのなら、俺の兵站を好きに盗んでいけ。
⇒ 【兵站】強軍(강군:Kang-gun)への装備調達マニュアル はこちら

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