「スープは、熱い方がいいんだ……」
目の前に鎮座する、脂の浮いた褐色の海。これが、ラーメンなんだ。食べたかった、ラーメン。だが、スープは熱くなかった…。
内科医から突きつけられた「塩分、揚げ物はほどほどに。ごはんやパンとかの主食は今までの半分」という宣告。それからというもの、俺の食事は生野菜に酢をぶっかけただけのサラダが主食になった。 2ヶ月間でヘモグロビンA1cを6.4から6.2へ減らした。わずか0.2の微減。その「微かな免罪符」を盾に、俺は禁忌を犯しにここへ来た。

武蔵小山のパルム商店街中ほどにある「がんくろ」。ラーメン 900円、豚まぶし飯 250円。かつての俺なら呼吸をするように胃に収めていたはずのそれが、今はまるで、最後の一餐(ラスト・サパー)のような重圧で迫ってくる。
「その豚丼……ラーメンのスープをかけてお茶漬けみたいにして食べるんだ」

連れの不幸な女に壁の注意書きを指し示した。
「久しぶりだね、ラーメン。これ、なんていうの?」
「家系、かな?……スープが、thickなんだ」

彼女が頼んだ「麺柔らかめ」は、すでにスープを吸い尽くし、ぶよぶよと醜く膨張していた。それはまるで、自らの重みに耐えかねて沈みゆく、俺たちの人生そのものに見えた。食べるのが、あまりに遅い。
「いいよ、ゆっくり食べて」
厨房では外国人の店員が見える。ここかしこに外国人労働者がいるのが当たり前の風景になってしまった。
「彼、国に帰ったら、ラーメン屋をするのかな?」
その言葉を発した後で、しまった、と思った。
俺たちにはもう、帰る故郷は遠く、かつての故郷は既に外国になってしまっているのだ。
彼女は、豚まぶし飯にスープを注ぐのを躊躇っていた。震える手元。それは「美味しさ」への期待ではなく、一線を越えてしまうことへの恐怖に見えた。
「美味しいよ」
俺は続けて言った。
「……今度、戸越銀座の塩ラーメン、食べに行きたい?きっと美味しいよ」
不幸な女は笑った。

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